エネルギーについて思うこと

2008年02月19日 22:40

私にレイキを伝授してくださった方はいつもこう言う。
 「シンボルやマントラそのものが“力”を持っているのではなく、
 それらを使うことによって、より明確な想念(イメージ)ができ、
 より深いエネルギーを送ることができるのです。」と。

私も師の言葉に共感している。
アチューンメントという「儀式」を行えば、
誰しもが同じように“力”を持つのではないと思う。
もともと「気」というものは人間に備わっているものだし、
たとえば、目に見えないものが視えるというような能力は、
アフリカのサバンナにいる、はるか遠くの獲物をしとめることのできる
原住民の人々の驚異的な視力と比べてどちらがスゴイのかわからない。
いわゆる「よくある話」ではない、のは間違いないけれど、
何もズバ抜けて特殊な能力ではないのではないか?と私は思っている。

だからこそ、誤解を恐れずに言うなら、
その能力が人間が持っているであろう五感を
超えるものではない、と私は思う。

「癒し」という言葉についても疑問がある。
傷は「癒える」もので「癒される」ものではないはず。
けれど、言葉の特性として能動的に「癒える」という意味合いで
「癒し」というキーワードが浸透しているのだと思う。
だからといって、本当の意味で傷が癒えるのは、
その傷の持ち主がその傷に対して降伏し、
さらにその傷すらもアキラシメルことができること。
それができて初めて、その傷を過去のものとし、
前にすすむことができるのでは??

言葉や思考を超えたところにあるスピリチュアルという世界は、
言葉や思考でがんじがらめになった人間には(私も含めて)
とても甘美であたたかで光に満ち満ちているような気がするけれど、
でもやはり、生きていくのはこの人間界で、
顕在意識が中心となったこの世界。
嘘もあり憎しみや妬みもあり、
誰かが幸せになることを羨むことが当然とされる世の中なのだ。

それがいいとか悪いとか、ではなく。


スピリチュアルな世界から発信される言葉や思考は、
とてもキラキラして輝いているけれど、
それが、すぐに誰かの心を捉え変えてしまうものではない。

変わるのは、その心を持ったひと自身。
変えるのは、その言葉を自分なりに噛み砕き、
自分のものにしたその人自身。

力などはそこにはないのだと・・・思うのです。

もし、そこに力というものが存在するとしたなら、
それは忍耐強く、息吹を待つということではないかと思う。

私にはたぶん、たいした力などないのだろうけど、
我が子を見るように、その息吹を見守る長い目を持てたらいいな、と。

ALOHAのココロで、
そーっと見守ることができたらいいな。


コメント

  1. ハミングバード | URL | ZGPMptfU

    おー。

    同じようなコトを考えていたよ(^-^)
    ・・・ちょっと違うかな?
    うん、でもたぶん、近いようなコト。
    ずっと上手く言語化できなくて、考え続けてたんだ。
    それが、さっきお風呂の中で、
    キーワードがいくつかわき上がってきて、
    おおそうだったのか!とうれしくなってきたところ。

    心の中でそっと育ててみて、
    まとまったら書くね(^-^)

  2. ミュゼ | URL | 97Hp0aE.

    私も、全く同じように思います。
    直伝霊気にはそもそも『癒し』的なものではなく、ハッキリと『治療』ですし、
    その治療も、日本語の『手当てをする』に根ざしている事。
    野口整体も、宗教っぽい『まひかり』の手かざしも、
    きっと、根っ子の根っ子は同じものだと、私は思っています。
    シンボルも、臼井先生自体は『シンボル落とし』という言い方で、上達すればシンボルを使わなくてもいい『域』があるそうです。
    で‥
    事は『レイキ』のみではなく、全ての事は、いかに『自己治癒力』を高めるか、ということで、
    決して他力本願的なものではないと思っています。
    あ‥
    また長々コメントに‥ m(_ _)m

  3. pumehana | URL | -

    ハミングバードさんへ

    さっそくのコメントありがとう♪

    このエントリ・・・
    冒頭の2段落だけをずいぶん前に書いたのだけど
    そのときは後が続かなくてそのまま保存してあったもの。
    昨日はまるで何かが降りてきてくれたような勢いで
    書き上げることができたから不思議です。

  4. pumehana | URL | -

    ミュゼさんへ

    コメントありがとう♪

    >事は『レイキ』のみではなく、全ての事は、いかに『自己治癒力』を高めるか、ということで、
    >決して他力本願的なものではないと思っています。

    私もそう思います。
    たとえばパワーストーンにしてもレイキにしても
    神社でいただくお守りやお札にしても
    十字架のペンダントにしても
    「それがあるから幸せになれる」というものではないですものね。

    あくまでもその人がその人の人生を自身の力で歩くという前提で
    サポートをしてくれるもの、という考えを私は持っています。
    広い意味では占いや易などもそうですよね。
    日めくりカレンダーにもたくさんの気づきがありますし(笑)。


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